シンデレラガールズと導入のない催眠術
追記(2019/11/12)
この記事の内容、ナゴド2日目で早速覆りかけています。具体的には、初めの挨拶で数人ですがキャラ自己紹介をしていました。
まあでも全員したわけじゃないし、声優としての自己紹介しかしてない演者さんについては自己催眠が重要であるという主張については些かのブレもありませんので、記事はそのまま掲載いたします。
それではどうぞ。
どうも、納経です。
私は今、岐阜グランドホテルに宿泊しています。
現在、チェックアウト直後です。
この記事はライブの感想記事ではありません。
ライブ中、ふと思い至ったことをメモしておくための走り書き記事です。
これ以上深く掘り下げる予定もないです。
理論もガバガバなので適当に流してください。
2.5次元系ライブパフォーマンスにおける没入
2.5次元ライブというと、2.5次元ミュージカルがまずは思い浮かぶだろうと思いますが、声優によるコンテンツライブも立派な2.5次元ライブです。
それは、双方ともに2次元を3次元で表現したもの、すなわち2次元から3次元へ半歩踏み出したものとして2.5次元である点が共通することに拠ります。
そして。
ミュージカルでは、キャストは見た目からガッツリ役のキャラクターに似せて、ぱっと見でどのキャラクターなのか判別できるようにしてあるのが通常である、と僕は認識しています。
それにより、観客は舞台上に立つキャストをキャラクターであるとして認識し(かつ同時にキャスト本人としても認識するが)、その世界観に没入します。
つまり、声は違えど見た目や言動によって、そこにいるのはキャストではなくキャラクターなのであるという"催眠"のようなものにかかっているのだと言えるでしょう。
一方、声優2.5次元ライブでは、まず見た目を寄せることはあれど、そのものに見えるほど似せるということはとても少ない(と僕は感じている)。
そのかわりに、キャラクターと同じ声をその人が出し、同じような言動を取っている、という事実を確認することにより、声優とキャラクターは強力に結びつくといえます。
本題
さて、今回どうしてわざわざこんなことを書いているのかといえば。
デレ7thナゴド1日目における"Needle Light"と"夢をのぞいたら"を聞いたとき、この"声優とキャラクターの紐帯"についての疑念がふと胸に浮かんだからです。
ライブ自体がどうこういう話ではないけれど。
"最近のデレのライブは、最初に
「演者がキャラクターとして挨拶して、続けて声優自身として挨拶をする」
ということが無くなったな、と。
単純に各回出演者数が激増しているため、というのは分かるのですが、これが無くなったのはコンテンツ内向きの兆候ではないかと危惧しています。
先も述べたとおり、声優の2.5次元ライブは観客の脳内にあるキャラクターの声、言動パターンと、実際に見聞きする声、言動とが合致したときに没入感が生まれます。
アイマスライブにおいては、初めのキャスト挨拶において、キャラクター挨拶からキャスト挨拶に移る過程を踏むことで、没入度を高めることが出来ていたのではないかと考えます。
そのキャストが初舞台、あるいはそれぞれのPに馴染みの薄いアイドルだった場合、その自己紹介がなければ誰の声優なのか分からないこともしばしばあります。
(オタクの中にキャラクターと声との結びつきがまだ無い場合)
それが無くなったことにより、オタクたちはいわば事前に自己催眠をかけてからライブに行かなくてはならなくなったのではないでしょうか。
以前はキャスト自己紹介で催眠を掛けてくれていたのですが……
まあそんな話です。
もう熱意がないので上げます。
それでは。