納経のひとりごと

女児になりたい男のひとりごとです

僕の祖母が亡くなった話

どうも、納経です。

サイレント投稿。

 

2020年5月28日

僕の祖母が突然亡くなりました。

享年83歳でした。

 

この経験は僕の人生においても、恐らく幾度とないほどの大きな衝撃になるだろうと予感しているので

覚えているうちに経緯と心の動きを備忘録として書き留めておくことといたします。

思い出したことを片っ端から書き連ねるため、関係のない事柄が含まれてしまうやもしれませんが、ご了承くださいね。

というか、既に現在お通夜を終えた日の夜、もうかなり精神的に参っており、目も真っ赤になっておりますよ。

わはは。

 

 

5月28日 臨終当日

5月28日(木)

僕は19時半ごろに退勤、僕を現職に誘ってくれた友人と共に大阪メトロで帰途につきました。

最寄駅で降車、自転車の鍵を職場に置き忘れたことに気付き、徒歩で帰るため地元のイオンでお菓子や飲み物を購入。

その直後のことでした。

 

妹からLINEの着信。

「祖母が亡くなった」とのこと。

最初、マジで意味がわからなかった。

頭は真っ白、病院にいるらしいので、とりあえずすぐに向かいたいが、自転車の鍵はない。くそ。

タクシーを捕まえて、一旦急いで自宅へ。

そして家にいた父、妹を乗せて、僕の運転で病院へ(父は飲酒していたため)。

 

病院に着くと、母、叔父、祖母のいた介護施設の職員さんがいた。

職員さんから事の詳細を聞く。

夕食後、歯を磨いていた祖母の部屋から呻き声が聞こえたため、職員が確認すると倒れていた。

初めは呻き声を漏らしていたが、そのうち意識がなくなり、救急車で運ばれたがそのまま……ということらしかった。

なんだそれは。

母曰く、その日の夕方、施設に行って面会した時には元気だったらしい。

車椅子に置くクッションを渡したり、髪にパーマをかけたいだの、明後日のお風呂はやめとこうかだの、普通に話もしていたという。

それが、数時間後には亡くなっている。

なんだよそれは。

 

病院ではなく施設で亡くなったため、そのまま遺体引き渡しというわけにはいかず、警察を呼んで検死をしてもらわないといけない。

事件性が皆無なのはほぼ明らかだったが、警察から検死官らしき方が2名派遣されてきた。

施設に出入りしている医者の関係も複雑で、死亡診断書がすぐには用意できないということだった。

ひとまず遺体を施設に運び、関係者に事情聴取をし、翌日に検死が行われ、葬儀関係のことが実際に進むのはそれからだということで、その日は母と叔父のみが祖母について、他は帰宅することに。

 

自宅に帰る前、少しだけ遺体を見せて頂いた。

祖母だった。

死後数時間、重力に負けた頰肉は落ち、顔も随分血の気が引いていたが、祖母だった。

ああ、これホンマなんや。マジで死んだんや。そっか、そうか……

泣いた。

 

後で知ったことだが、直接的な死因は脳梗塞だったとか。

肺にもダメージがあったみたいだけど。

どうしようもないやん。

 

 

5月29日

この日の僕は普通に出勤して、先輩に叱られたり褒められたりして、おちごとよいちょまるした。

仕事をしている間は、祖母のことを、その悲しみを忘れられた。

学年主任に忌引きの連絡をした際

「一年目やから休みにくいと思うやろうけど、人間性を失ったら終わりやで。そんな時は仕事せんでもええと俺は思う」

と言って頂いたことが、一日経った今でも響いている。

 

追記。

この日の夕食は、母が斎場で食べたパック寿司の残りだった。

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数パック分の食べさしを1パックに詰め込んであるから、それなりに見栄えは悪い。

これを見て思い出したことがある。

 

中学生のとき、母が体調を崩して一日だけ入院したことがあった。

そのとき、後にも先にも一度だけだったが、祖母が僕の弁当を作ってくれたのだ。

弁当箱の蓋を開けると、みっちりと詰められた白米の上に、びっしりと敷き詰められた海苔。

真っ黒なそれが目に飛び込んできて、友人と笑ったものだった。

 

この乱雑に積まれた巻き寿司の海苔の黒さを見て、不意にそのことを思い出した。

感傷。

 

 

 

5月30日 お通夜

朝、目覚めてすぐに職場に電話。

改めて忌引きの連絡を入れ、受理される。

Zoomでのオンライン朝礼にのみ参加した。

母は朝から斎場へ向かったため、家事を妹と分担。

13時から湯灌の予定だったのだけど、親戚が数人早めに来ていたらしく、妹が弁当パシリに駆り出されていった。

 

湯灌

遺体を洗浄するその作業は、想像以上に精神にくるものだった。

薄紫色の棺型湯船に、担架が架けられ、その上にタオルに包まれて祖母が横たわっていた。

斎場の職員が二人がかりで、祖母の身体を洗っていく。

僕ら親族は、それを裁判の傍聴人のような配置で見る。

祖母の身体はタオルで隠され、こちらからは見えないように洗われた。

完全に脱力した祖母の身体。正直見ているのがとてもきつい。

髪が洗われている時、母がボソッと「パーマ掛けたい言うてたなあ」とか言うから涙が出た。

 

洗浄が終わると、今度は担架ごと湯船から下ろし、水分の拭き上げと髪にドライヤー。

これを下ろす作業を手伝った。

ここで何より心が痛かったのは、背中を拭くために職員が仰向けの祖母を横向きに傾けるところ。

仕方ないのは分かっているのだけど、祖母の身体がまるで「モノ」にでもなってしまったかのように感じられてしまって、ボロボロと涙が出てしまった。

精神を落ち着けるために、部屋を見渡す。

置いてある収納ボックス、蓋を閉じたらそこに雑誌を置けるようになっていて、「それ美容室に置いてあるやつや!」と心の中でツッコむなどして平常心を保つ努力をした。

後半になると効かなくなったけど。

 

拭き上げの次は下着、次いで装束を着せていく。

ここも前述の横向きで泣く。

脚絆を装着するとき、紐を結ぶのをやった。右脚。

 

祖母は四国八十八ヶ所巡りを三周した人なのだけど、装束の上からそのときの装備をつけていく。

完全に埋まりきった納経帳もあった。

八十八ヶ所全ての印鑑が推された白装束もあった。すごい。

それを見ていたら、また涙。

 

それから薄化粧を施し、口に綿を詰める。

母が「他人に化粧してもらうの初めてやなあ」とか言うのでまた涙。

 

全ての行程が終了し、遺体を棺に戻す作業もお手伝い。

頭側の担架を持ったため、祖母の顔を間近で見る。

泣きながら作業。

 

湯灌が終わるまでにめちゃめちゃ泣いた。

全く歯止めが効かなかった。

 

 

お通夜まで

喪服は運んでいたが、数珠を忘れたため一旦帰宅。

そのタイミングで電気屋に寄り、Apple Pencilを購入。

いや、違うんです。仕事で使いたいけど買うタイミングがなかったんです。

 

数人集まった親族は思い出話に花を咲かせていたが、さすがに僕や妹は知らない話だったので上手く参加できず。

Apple Pencilの使いやすさに感激しつつ、教材研究をして時間を待つ。

 

 

お通夜

祭壇は向日葵が目立つ華やかなもの。

遺影も数年前に介護施設で撮られた笑顔のもの。

なんかもうそれだけで泣けてくる。

 

家族葬のため、参加人数も少ないなか挙行。

配られたお経の歌詞カード(?)を読み、音程を表す棒線とそれを導師さんがどのように詠んでいるかの確認をして過ごした。

だってそうしないと涙が止まらないから。

経文を読んでいると、いやでも内容が入ってくる。そして悲しくなる。

もう何してても泣いてるやん僕。

 

 

お通夜振る舞い

お通夜直後、叔父と二人でタバコ。

「(妹よりも)〇〇(僕の本名)のこと好きやったなー色んなとこ連れてってたし」

などと言う話をしてくる。

叔父の前で泣くのはなんか嫌だったので耐えた。

 

お通夜振る舞い。

お通夜の後親族でご飯食べるやつ。

本来なら大皿で出るらしいが、コロナの影響で個別の寿司弁当だった。

ビールを飲みながら、祖母の妹の旦那さんと会話。

もう祖母とは関係のない世間話。

 

親族が一旦宿泊先に戻るのを母、叔父、妹と見送って、控室に戻るとき

「あれ?一人足らへんな」

と自然に考えた。

直後、それは祖母だと気付いた。

自分が、まだ祖母の死を真に飲み込めてはいないことを、他でもない自分自身に突き付けられた。

愕然とした。

 

僕も自宅に帰ることにした。

その前に、棺の窓を開いて祖母の顔を見た。

脳梗塞で突然亡くなったため、衰弱もしておらず、肉付きの良い顔をしていた。

そしてそのため、窓にはカバーがされておらず、こちらから顔を自由に触れられる状態だった。

化粧も施されているため、綺麗な状態。

ただ、体温だけが死を伝えていた。

頭皮も額も頬も耳も顎も、その全てがひどく冷たい。

 

思えば、最後に会いに行ったのはいつだったろう。

今の職場になってからも、数回は会いに行った。

しかし、コロナが蔓延してからは感染防止のため面会拒絶になり、気軽に会えなくなっていた。

確か4月に一度会いに行って、それきりだったと思う。

その時は、まさか次に会うのが遺体だとは露ほども考えてはいなかった。

これからも、それこそ100歳まで余裕で生きるだろうと、頭のどこかで考えていたのかもしれない。

 

祖母の顔を撫でながら、ふとそんなことを思い、またまた涙が止まらなくなる。

叔父が「〇〇(僕の本名)〜〇〇〜ていっつも言うてたからなあ。喜んでるやろなあ」など(遠くから)声をかけてくるので

悲しいやら嬉しいやら申し訳ないやらで、また泣いていた。

 

 

5月31日 葬式

朝から斎場へ。棺の中の祖母のそばには、昨晩よりもお菓子が増えていた。

現実感はなかった。

時間が近づくにつれ、徐々に人が集まってくる。とはいえ、家族葬なので合計で10人にも満たないが。

 

葬式

10:30、祖母の葬式が開式。

式の進行とともに、叔父の同僚など予定外の参列者の到着。

 

僕は親族の止め焼香を任された。喪主である叔父が、僕を推した。

大役だった。親族の中で最後に焼香をするだけ、と言ってしまえばそれまでだが、祖母の葬式の最中、自分の名前が呼ばれて前に進み出る、だなんて。

緊張して涙は出なかった。が、それも焼香直前まで。

名前を呼ばれ、焼香の台の前に進み出る。礼をする。

もうだめだった。止め焼香をするということは、葬式が半分終わるということだ。

僕は自分自身の手で、祖母との別れの儀式を進めるのだ。

止め焼香とは、かくも残酷なものか。涙と嗚咽が襲う。

焼香の間は耐え切った。自分の席に戻る途中で決壊した。

そこから先、お経が朗詠される中、僕は嗚咽を漏らし続けた。

 

斎場でのお別れの儀式

導師様が退場され、最後の別れ。

祭壇に飾られた花々を、棺の中へ入れてゆく。

これでもかというほど、詰め込んでゆく。

相変わらず、祖母の顔は綺麗だった。死んでいるとは思えない。

 

親族、というか叔父と母、父、僕と妹のみが斎場に残り、最後の挨拶。

これでもうゆっくり眠れるね。もう文句言わんで済むね。

無理。

 

火葬場

親族で、斎場から棺を霊柩車へ。

我々はマイクロバスで火葬場へ向かう。

火葬場はエレベーターが並んでいるような風情で、しかし独特の何とも言えない香りがした。

天国行きエレベーターに棺がセットされ、その前で再度焼香タイム。

ここが本当に最後の別れ。もう辛くてしかたがない。

(すぐに記事を書かなかったせいで、詳しく書けない自分に腹が立つ)

 

そして、ついに祖母の入った棺がエレベーターに呑まれる。

もうこのときには感情は無。

あまりのあっけなさに放心状態。

これで終わってしまった。もう祖母の肉体は無くなってしまった。

今から思えば、ここが一つの整理点だったっぽい。

 

精進落とし

正直大して何もないので割愛。

 

お骨上げ

火葬が終わって、骨を拾う。

祖母は腕や足に金具を入れていたので、それらが生々しく忌々しく残っていた。

肝心の骨はといえば、骨粗鬆症を患っていたことが災いし、かなり焼け崩れてしまっていた。

それでも拾えるものを拾い、骨壺に入れる。

不思議なもので、ときにはもう談笑しながら出来るくらいには整理がついていた。

やはり火葬が一つ大きな切っ掛けだったのだろう。

 

初七日法要と家への祭壇設置

斎場で初七日の法要をしたあと、解散。

斎場のスタッフさんが、祖母と叔父の住む家まで来て、四十九日まで遺影と骨壺を置いておく祭壇を設営してくれた。

叔父は片付けのできない人なので、散らかり放題の家を家族総出で片付ける(父だけは帰って寝ていた)。

家には祖母の衣服のみならず、9年前に亡くなった祖父の衣服までもが未だに残っていた。

もう2人とも居なくなってしまった。

僕の心の故郷がまた一つ消えていく。

 

祖母の化粧台からは、未だに祖母の香りがしている。

 

 

おわり

書きかけで放置してしまっていました。

書いてしまうと絶対に悲しみが再来すると分かっていたためです。

ですが四十九日も近いので、涙をおして書き上げました。

僕はこの先幾度もこの記事を読み返して、この時の気持ちを思い出すでしょう。

そして、いつの日か、今度はより大きく深い悲しみと対峙するのでしょう。

その時、この経験が支えになってくれると信じています。

 

かあちゃん、色々返せんでごめん。

今までありがとう。ゆっくりおやすみ。

 

 

 

2020/07/26追記

たまたま見つけたこの曲を聞いていました。

https://youtu.be/p3HtJqFGqAo

 

ワカバというインディーズユニットの

「見せたいもの」という楽曲。

歌い出しが「お前の隣を共に歩いてくお嫁さんが来るまで死ねないよ」というおばあちゃんの台詞から始まります。

 

大学2回生の時、民俗学の課題で祖母のライフヒストリーをインタビューしてレポートにまとめた事がありました。

そのとき、祖母が言っていたことを思い出します。

「〇〇(僕の妹)が結婚するまでは死なれへんなぁ」

 

この言葉の裏には、きっと「そのころ僕は結婚しているだろう」との前提があったのでしょう。

結局、僕すら家庭を持った姿を見せることなく死に別れてしまったのですが。

オタクやってるのが申し訳なくなります。

 

それもまあ、頑張ってみるわ。

心配せんでな。