納経のひとりごと

アラサーオタクの雑記です

パンナナの話

どうも、のうきょうです。

先の記事の一部として書いていたのですが、語り始めてしまったので別記事にしました。

できるだけ頑張って当時の心境を客観的に書くよう努めていますが、どう見ても私信だろ、という箇所があります。

ごめんなさい。許して。無理なんだよ。

 

 

事前情報

そもそも僕は出自として大雑把に

  1. アニメオタク(高校生)
  2. ラブライバー(大学生)
  3. アイマスP(並行して声優オタク)(大学生、社会人)
  4. メイド喫茶通い(社会人)

という経緯を辿って今に至ります。

 

最後のメイド喫茶は前記事のとおり、2022年3月を最後に通うのをやめたため、下記の出会いの時期までは通っている現場はありませんでした。

 

アイドル現場も、友人に誘われて行った日本橋ポルックスシアター、自分の大学のユニドルを観に行ったアムホール、この2回だけでした。

声優現場のオタクをしていたため、ライブアイドル的なカルチャーにはある程度親しんでいましたが、それもあくまで声優現場に持ち込まれたものだけ。

 

 

10/8「MISAKI IDOL FES」@みさき公園

高校からの友人まっとんの誘いで訪れた「MISAKI IDOL FES」

運命の転換点。これ行ってなかったらどうなっていたことやら。

ここで「#PANnana-パンダの指は実は7本ある-」と出会いました。

 

彼がスワンスワンズを観に行くというので一緒にどうか?と声をかけてもらいました。

みさき公園という場所柄、彼も初めは参加するかどうか決めかねていたようですが、最終的に参加することになって本当に良かったです。

彼から話を聞かなければ、僕はこのフェスのことを知りませんでしたし、パンナナと出会うことも無かったでしょうから。

 

スワンスワンズの物販に並び終わった時だったか。

今思えば「海老の心臓は頭にある」だった気がするけど、遠くのステージから曲が聞こえてきたのが全ての始まりでした。

あれは絶対に僕の好きなタイプの曲だ、そう確信して彼を説得して物販に行きました(ちゃうかったらごめん)。

その時はゆうかにゃんとチェキを撮りました。

ついでに実はこの時、仕事のミスが発覚してペアの上司から叱責の電話を受けた後にパンナナ物販に行ったんでした。書きながら思い出した。

 

 

 

当時の僕のツイート。

帰宅してすぐYoutubeでワンマンライブの動画を一周しました。

ていうかツイートでは物販でカメレオン聞いたって書いてあるな……どういうこと……

 

 

次のライブに行くまでの間

10/8にみさき公園に行って、次にパンナナを見るのは10/23の阿倍野ROCKTOWN。

 

その間に、10/18要るな生誕ライブが行われていたというにもかかわらず、僕はそれを実はTwitterで見て知っていたにもかかわらず、のうのうと仕事をしていました。

 

自分の誕生日10/16もパンナナ現場があったのに行ってないし。

(これについてはそちらも初の別現場に行ってて、後悔はしていませんが)

 

まだハマる前だったとはいえ、この時期に戻りたい……

 

 

10/23「偶像和音」@阿倍野ROCKTOWN

ここで要るなちゃんと初めてチェキを撮っていますね。

ロックタウンに行くことを決めた時点でるうちゃんとチェキを撮ろうと思っていたように思います。

というのも、ウミガメとカメレオンを聞いた時点で歌声の虜だったからです。自分が軽音でボーカルをやっていたこともあり、曲や歌声で好きになることの多い僕に、その両面からブッ刺さったのが要るなというアイドルでした。

 

この頃、僕は結構仕事に疲れていて、仕事内容もあってプレッシャーがすごかった時期でした。そのせいか、生活が完全に仕事中心になっており、「何も面白くないな」と感じながら義務感だけで仕事をしていました。

そんな中で出会ったパンナナ、るうちゃんだった。

ハマるのは必然だったのかもしれません。

 

 

 

10/30「超ハロウィン‼️〜超仮装祭SP‼︎〜」@心斎橋FANJ Twice

前回から1週間でライブに行っていますね。

ここでワッツ◎さーくる(わっくる)、lumina⁂twinklarity(ルミナ)と3連チャンで観ています。

しかしこの時はまだどちらも全然推してなくて、完全にパンナナだけ観に行ってます。

セトリからして、ウミガメを聴きたくて行ってますね。るうちゃんとも確かそんなトークをしたはず。うわ、これ10月のことなのか。早いなあ。

 

 

ちなみに地獄のサービス「ONLY FIVE」を発見、利用開始したのもこの日。

いつもお世話になっております。絶対に許さない。

 

 

11/13「#コイスルver.53」@バナナホール

前回から1週間空いて、出張帰りに行ったバナナホール

初めて仕事帰りにライブ参戦し、行けるやんと手応えを得ました。

ここから毎週最低1回はパンナナを観にいく生活が幕を開けました。

 

この日、さにょ、そしてルミナの悠菜ちゃんとチェキを撮ったことを皮切りに、ルミナとわっくるへの推し増しがスタート。

 

正直、楽しくて仕方がありませんでした。

チェキを撮って話す、という形式はメイド喫茶で数年繰り返したルーティンだったはずで、そこに今更新鮮さなどあろうかと思っていましたが、そこにライブアイドルという要素が入るだけでこうも変わるのか、と。

 

パンナナにしても、Youtubeにあるライブ動画よりもますますパフォーマンスが向上してゆくこと、その様子を直に見て情動を直接伝えられることが嬉しかった。

また推しに定期的に会うということの喜びを再び取り戻した感覚もあり、ここに及んでいよいよ根っこまで掴まれたな、といった心持ちでした。

(あと現場で他のオタクのMIX聞いて覚えるのたのしい)

 

 

11/29「火曜定期公演 Vol.77(地雷量産女子公演)」

ついに定期公演にまで行き始めた日。

元々12月は比較的退勤が早い職場なので、行ける日は定期行こうと思っていたのですが、まさかここから13日以外全部行くとは。

 

キンブレシートを自作したり

シートはこの後別バージョン含め合計3つ作成しました。

 

完全にただの沼に落ちたオタクです。

 

 

12月

パンナナだけで6本。わっくる、ルミナも合わせると9本のライブに参加しました。

ひたすら楽しめました。

自分はライブのためにこうも簡単に名古屋まで行けるバイタリティを持っていたんだな、と新たな発見もありました。

 

また12/20にるうちゃんが佐野とボイトレ行って以降、高音の安定性と伸びが段違いに向上したように感じ、これまで以上にソロパートに惹きつけられています。

 

 

要るな

僕は元々DDの気質が強いオタクです。すぐに推し増しをします。

そして色々考えすぎてしんどくなってしまう。

そんな経験を幾度もしてきました。

 

しかし、新年を迎えて改めて自分のライブ参戦モチベを確認してみると、そこには要るなが一番にいます。

可愛いし、歌唱力にもますます磨きがかかってるし、振りも力強くかっこいいし、かわいいし、笑顔もいいし、食べてるとこ最高やし、可愛いですからね。

僕は2023年もっとパンナナに、要るなに真剣になろうと思います。

(一応その意思表示として、RTで思い出を語る企画はるうちゃんのやつしかやってなかったりする)

(考えすぎなのは分かってる)

 

もう推し増しはしない(つもりだ)し、今推してる他のアイドルも引き続き推します。そこに嘘はつけない。嘘をつくと絶対にメンタル崩すのがわかっているから。

それでも、自分の中心にいる推しは誰なのか。それを自分でも、側から見ても、そして本人にも明確に示すことができたなら。

そんなことを考えながら、2023年もライブへ遊びに行きたいと思います。

今年もお世話になります。

 

2023年1月1日

のうきょう

 

 

落書き↓

ただ、本当に申し訳ない話なのですが、年末ルミナで名古屋遠征をしたことで自分の中に疑念が湧いたことは認めなくてはなりません。

すなわち「要るな推しを標榜していながら年内最後のライブがこれでよかったのか」というものです。

ライブはとても感動したし、悠菜ちゃんおめでとうの気持ちで一杯でした。

それなのにホテルの部屋に戻った僕は、これを「要るなに対して不誠実だ」と感じてもいました。

ここが僕の厄介な性質です。根本的にアイドルを推すという行為に向いてない。

 

自分の好きという感情の上澄みに「推し」という名を与えて区別することで、自身の物販意欲に制限をかけ方向性を持たせている(ex:みんな好きだけど僕は要推しなので要の物販だけ行く)。

それなのに、好きの増大に伴って推し増しをすることで複数のアイドルの物販に行くことを自己正当化している(ex:みんな好きだけど僕は要推しなので要の物販に行く、でも佐野推しでもあるから佐野の物販も行く)。

しかし言葉は悪いけど推しにも序列があるので、推し増しという序列1位を蔑ろにする行為によって自傷している(ex:要以外の物販に行くと要に申し訳ない)。

 

ここにある「申し訳ない」という感情(≒罪悪感)が曲者で、根本的に1-多であるアイドルとオタクの関係性を1-1でしか捉えられていない。

つまるところ僕は「ガチ恋ムーブしかできないオタク」ということなのだろう。

このため、昨年12月半ばから自分が並ぶ物販の始めと終わりをるうちゃんにすることで、その罪悪感を緩和しようと試みているが、自分でもどれだけ効果があるのか分からない。

今年はこれを自己解決することを志向して、次項の後半に続きます。

 

真面目くさってこんなことを書いているが、これを書く自分自身を冷笑する自分もいて、だからここを反転しています。アホらしい。こんなもの人に見せるものではない。