納経のひとりごと

女児になりたい男のひとりごとです

大学院進学と覚悟の話

どうも、納経です。

今回は、大学院への進学を考えている学部生の皆様に向けた記事、を装った自分語りを書きます。

 

僕は文学研究科の修士課程にいて、来週卒業します。

ですので、この記事が参考になるのはせいぜい文系大学院に進む方くらいでしょう。

それ以外の方も、大学院に進んで苦しんだ僕の話を読んでニヤニヤすれば良いと思います。

 

結論としては

院進するなら、それなりの覚悟を持て。

修士卒で就職するし〜、なんて考えで評価される修士論文を書けるだなんて思うな。

です。

 

 

僕が大学院に進学したわけ

さて、僕はなぜ大学院に進学したのか。

理由は二つあります。

 

卒業論文を書く過程で、もっと同様のテーマでいろいろと書いてみたい、と思ったから。

 

・学校教員になることを考えれば、修士卒の方がのちのち有利に働くこともあるのではないか、と考えたから。

 

決して就活が嫌だったからではないです。

どちらにせよ教員志望なので、いわゆる就活はしませんしね。

 

このような考えで、自分の大学の大学院入試を8月に受験し、合格して進学しました。

しかし、進学段階で既に(無理かもしれない)という危惧はあったのです。

というのも、卒業論文が難産だったから。

論文を書くということは、こんなにも辛いことなんだと実感し、これより辛い経験を2年間するのだと考えると気が滅入りましたが、就活してないしもう院試に受かっていたので、そのまま進学。

 

 

僕の大学院生活

大学院に入った僕は愕然としました。

同期がいません。

正確には、文学研究科には他に同期もいるのですが、同じ専修の同期がおらず僕1人だったのです。

 

一つ上の先輩はいらっしゃいましたが、もう論文執筆に集中なさるので、当然院の専門科目は教授とマンツーマン。訳書の出てない英語文献の読解。

地獄かな?と何度も思いました。

なんせ、自分が毎週予習にあたるうえ、やってないと授業が成立しない。

自分の研究について考える時間は、なかなか取れませんでした。

ただのエクスキューズですが。

 

 

修士論文について

テーマについては、恐らく院試を受けるときに研究計画書を書いていることだろうと思うので、それを教授と話したり1人で調べ物を重ねたりして詰めていくだけです。

 

ただ、テーマの確定ははやめはやめにすべきです。

少なくともM1の11月ごろには確定させておきたいですね。でないと必要な調査も分かりませんし、執筆時間にも追われることになります。

 

修論は卒論よりも長く、内容もより高度なものを求められるので、拙い調査や間に合わせの文章で乗り切ることは不可能です。

そこに注力するために、テーマを早く決めてしまい、M2の春期休暇で本をめっちゃ読みます。

 

そして、次に行うのは目次の作成です。暫定で構わないので(どうせ書きながら変更しまくる)、できるだけ綿密に論文の構成を考えます。

これができれば、何をすべきか見えてきます。

本文の執筆は遅くとも秋、できれば夏から、早い人だとM1のこの時期から書いてる人もいます。

 

提出期限の前日には出したいですね。

僕の担当教授曰く「あともうちょっと書きたい、そう思えるくらいが修論の完成」らしいです。

学会で聞いた話によると、一旦全て書き終えてから、改めて問題設定を見直すと良いらしいです。

結論に合うように問題設定の方を変えてやる。すると問題が一つメタレベルになり、議論が分かりやすくなるとか。

テクニックですねえ。

 

 

学会について

工学部の院に進んだ友人は、かなりの回数学会に出席していたようです。

僕は二度のみでした。

学部卒で院入学前に一度、修論提出後に一度(その翌日にこれを書いています)。

二度目には修論の一部を発表もしました。

 

学会には、さまざまな大学やコミュニティから教授やら院生やら非常勤講師やらが集います。

まず以て言えることは、全員ガチということ(あたりまえ)。

知識量と指摘の鋭さが半端ではありません。

初めて聴く発表にもかかわらず、すさまじく的確にディシプリンを読み取り、不備を刺してきます。

僕は図星を突かれ、何も言えませんでした。

 

他の発表者も、質疑応答がとても滑らかです。そんなところに参加していると、たとえ修士卒で研究を終えるのだとしても、すさまじい劣等感に苛まれます。

 

 

この記事書くのしんどくなってきた

タイトルどおりです。

この記事を書けば書くほど、院生生活の闇を思い出してしんどくなってきます。

特に最後の学会発表。

院では優秀論文になったらしいし、教授もそこそこ評価してくれたので、それなりに自分の修論に対して満足感を得ていたのですが、たったの1時間半ほどでそれらは全て粉々に砕かれました。

 

なにが「優秀論文」だ。

学会に出してみれば、穴だらけじゃないか。

恥ずかしい。担当教授に申し訳が立たない。

こんなもの、優秀でもなんでもない。

2年間かけて丹精込めて書き上げた落書きに過ぎない。

 

それまで自分では見えてこなかった改善点が、学会に出すだけでボロボロ出てくる。

自分はこんなもので満足していたのか。本当に理論的に問題はないと思ったのか。自分のポンコツ具合に閉口します。

論文すらこのザマでは、僕に価値などないじゃないか。

 

「学会などで批判されるのは、あくまで研究ないし論文であり、批判者はあなたの人格を否定しようとしているわけではない」

このような言説がありますね。

だからどうした。

そりゃ、批判者はそうかもしれない。

だが、批判された研究を行い、論文を書いたのはこちらだ。それを否定されるということは、それを行ったこちらの人格が否定されているかのようなを生むでしょう。

子の不出来は親の責任なんです。

 

そんな悪意が込められていないことは分かっています。

ですがそれでも考えてしまうのです。僕は心が弱いから。

 

 

結局なに

僕は、研究をライフワークにするつもりは全くなく、修士で卒業する気まんまんで院進しました。

 

その結果がこれです。

 

自分では精一杯やったつもりでしたが、博士へ行って引き続き研究し続けようとしている人々、研究をライフワークにしようとしている人々とは、文字通り覚悟が違ったのです。

所詮、僕は他者の研究を読んで、呑みながらあーだこーだ言ってるくらいがお似合いだったのです。

 

三度の飯より研究が好き、なくらいでないと、まともな研究はできない、とそういうことですね。

院進を考えており、かつ修士卒で就職を考えている文系の方は、今一度胸に手を当てて考えてみてください。

博士課程に進学しないことに無意識ですら甘えず本気でやる覚悟はありますか?

自己の怠慢に起因する劣等感に耐えられますか?

修士号は、あなたにとって本当に必要ですか?

 

 

おわりに

ここまで言っておいてなんですが、僕は修士号をいただけることが確定しています。

中退なんてしたら、教員になれても新卒より遅れた上で新卒と同じ給料からスタートになりますし、なによりこれまでお金を出してくれた親に顔向けできないからです。

 

あと、僕はチョロいので、研究が嫌になっても何か発見したり褒められたりするとすぐにやる気になってしまうので、なんだかんだ続けられたのもあります。

 

ウチの教室の先生方が修論や発表を褒めてくださるたびに、本当に涙が出る思いです。

先月の口頭試問で、ようやく「やってよかった」と思え、昨日の学会でまた自信は粉々になり、教授からメールで励ましていただいてまた泣きそうになっております。

 

覚悟も足りず心もよわよわな僕が修士卒できるのは、周囲の教授や友人、家族のおかげです。

迷惑かけまくりました。

院進には覚悟、それを強く言っておきたいと思います。

 

それでは。

 

 

 

P.S.

なんか勢いで書いたので、なに言ってんのか分からん部分も多いかと思います。

酔ったまま書いているので許してください。

 

また、本記事は学会やその研究者に対して否定的とも取れることも書いてありますが、終わってみればすごく参考になる議論をさせていただきましたし、研究のみならず今後の人生においても役立つ様々なことを教わったと思いますので、否定する気はさらさらないです。

なんならこれ以降も例会を聴講(でいいのかな)したいくらいです。